誰かのための看板

最初見た時、これって看板? だよね、と。スタンド看板っぽいような、そんな看板。
が、ポップなアートデザインっぽいものとロゴらしきものはあるものの、それが何を意味するのか、っていう辺りが皆目見当がつかなくて。つまり、これは何を目的としているのか、何をアピールしている看板なのか、といった情報が添えられていなかったわけです。

情報を分かりやすく伝える(提示する)といった情報デザインからすると、NG、と判断されかねないような看板なわけで。

だけど、ちょっと見方を変えてみると、不特定多数の街行く人に何かを伝えるとかアピールするっていうのではなくて…。
例えば表札かな? そういうのが目的の看板だとしたら、これは、”誰かのための看板”としては意味があるものなのではないかな、とも想ったりしたのです。

住所や名称をメールや電話で伝えられていても、何も目印がないと目当ての場所(建物)に辿り着くのは困ってしまうことも多々だろうし、それをアシストするための目印的なものが表札のひとつの役割でもあると思うので。
なので、この看板もその手合の目印的なアシストの役割をするためのものなのかな、って。
まあ、真相は謎なので、あまり自信ありげには言いきれないのですけど。

最大公約数的なコンテクストに基づくデザインとは趣の異なるデザイニング、という仮説って程のものではなく単なる想像の類でしょうけれど、それを前提に、このエントリーのタイトルは、D.A.ノーマン氏の”誰のためのデザイン?”(The Psychology of everyday things)という本のタイトルを捩ってみました。

MEMO
Exposure:0.002s (1/500)、Aperture:f/5.6、ISO:400、-0.3EV