適当さ加減

これからは適当にやって(生きて)いこう、と昨年辺りからふと思い始めました。

きっかけは特に無いのですが、それまでをおぼろげに振り返ると、完璧主義者ではないにせよ物事によっては納得度を常に意識し、自身が納得するラインに達しないと気が済まない面が少なからずあったのです。

が、長年そういうふうにしてきて、また、伴ってきた結果の数々も見てきて、まあ、結局は運かな、とか、資質(或いは身の丈)との相性もあるかな、とかで、必ずしも自身の入れ込み度合いイコール継続する充足感に繋がるわけではないんじゃないかなという思いが頭をもたげてきて、で、適当にという想いのベクトルに、っていう感じでしょうか。

加えて、適当に、とは言っても、人間そんなにころっと変われるものではないだろうから、物事の性質によってこれはそこそこちゃんとやらなくちゃ、という事柄に相対すれば自然とそれなりにはやるだろうから、自身を取り囲む全てに対してダラダラした感じにはならないんじゃないかな、という何となくの目論見もあってのことですが。

そして、適当さをモットーに掲げて1年弱が経過したわけですが、今の感想としては、う~ん。
何かに相対している最中、気を楽にしてもう少し適当にやらなくちゃ、なーんていう類の適当さに対する納得度合いを確認するような局面もあったりして、適当さの加減をナチュラルにコントロールする(コントロール出来ている状態)っていうのもなかなか難しいかもしれないなって。
適当にやるのが難しいってなんかなぁ…とは思いますが、元来の性分とかも関与してくるわけですしね。

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