とある日曜の朝

とある日曜の朝5時頃、何気に少し外の空気でも、と思い立ったので、ちょっとだけ近所を歩いてみました。

以前にも何度か、早朝5時とかに、ワンコの散歩等でふらっと部屋外の近辺を歩いたことがあったので、まあ、誰も歩いていないなんてことはないんだろうな、とは思っていたのですが…。
案の定、ほんの10分程度の散策にもかかわらず数人の人と路ですれ違ったのですけれど、なかなかな感じがしたのですよね。

朝イチ爽やかな感じで闊歩している人もいれば、昨夜は土曜の夜だったのでどこかしらで謳歌したせいか妙に疲労困憊さが伺える人もいたりして、まっ、色々だな、と思ったわけです。

同じ時間軸の、すれ違う程の範囲に居ても、人は色々だな、ってことでしょうか。

そこから想いを膨らませて、その(同じ)時間帯の東京の何処か、日本の何処か、はたまた世界の何処か、なんてこと等もちょっと想像してみたのですが・・・勿論、この目に映せはしないのですが、やはり色々なのでしょう、おそらく。

こんなコト(このような想像の類)に思いを馳せてみたところで、目に見えて何かが分かったりとか、解決したりとかはないのですけどね。三次元的には非生産的、非実利的、非実用的って類でしょうし。

だけどそれでも、何とも言えず、っていう感覚(動いている時の中に身を置きつつも自分の時間は止まっているような感覚)を覚えることが出来るので、こういうコトに時々巡り会える日常に身を置けるなら、日常ってそういう側面もあるのならば、まんざらではないかな、と、思えたりもします。

MEMO
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