1994年4月にリリースされたBlankey Jet Cityの4stシングル「青い花」。
この楽曲を聴いた私の友人は、「どうしてこういう楽曲が当時はあまりヒットしなかったのだろう? だから日本の音楽って…」、と少々嘆きがはいったコメントをしていましたね。
確かに良い楽曲だし私自身も好きな楽曲だけど、1994年当時はもっと具体的な、つまりストレートな歌詞や、リスナーの期待感を裏切らないサビへの導入、大サビのリフレインといった楽曲の構成が好まれていたのですよね。
なので、『青い花』のようにところどころ歌詞が抽象的で、リスナーが描くイメージに放り込み個々の触発される面とシンクロすることにより脳裏に絵が浮かんでくるような趣のものは、商業的な打算に基づく分かり易さに慣らされてきてしまった人たちには受け入れられにくく、型にはまったものに浸れる時を甘受したいという風潮とも逆行していたように受け取られたのかもしれません。
もしも、という仮定を加えるなら、当時から時を経た今の時代にあったならば、この楽曲にしても、Blankey Jet Cityのような存在にしても、もっと多くの人たち、もしくはもうちょっと異なる側面から支持されていたかもしれないな、と思ったりします。
分かり易さの表面を繰り返しなぞるようにし、売り手側が商売として散散利用してきたリスニング感覚などとは明らかに一線を画した次元で。
そしてそれは、この「青い花」の歌詞にある“壊れそうな未来感じながら”ということを、同じく歌詞中にある“星のひとかけら”として正視しようとしている人たちに。
MEMO
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